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Dum loquimur, fugerit invida aetas. Carpe diem, quam minimum credula postero.

   
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 10月ですなぁ。
 ってことで、倉庫サイトに、新作 「On Your Mark」 のプロローグと1をアップいたしました。
 蔵出しをして倉庫に入れるというのもなんだか変な感じですが。

 それはともかく、これ、私がこれまで書いた話の中ではダントツの長さでして、プロローグ+12回+エピローグという構成になります。
 今日から12日間に渡っての連載となります。御用とお急ぎでない方は、どうぞお立ち寄りくださいませ。


 実はこの話、一番最初のサイトを始めた2001年頃からずっと書こうと思ってい たものなので、私の脳内ではかなり長い付き合いになります。
 まぁ、結局は書かないうちにサイトを閉めてしまいまして、とりあえずざっと下書きしてみたのが 「MAY 2006」 という岬君のお誕生日サイトの準備をしていた時。
 なので、下書きですらかれこれ4年以上も前のことになります。どんだけ放置しておいたんだっつー話ですよ。

 放置の理由はごく単純で、面倒臭かったから。
 下書き時点で2万字ありまして、こりゃ、まともに書いたら倍になるなと思って、それっきり見て見ぬふりをしていたのでした。
 いやぁ、下書きした時点で自分自身は妄想が吐き出せちゃうんで、いちいち仕上げなくてもいっか、って気分になっちゃうんだよなぁ・・・
 まぁ、それはともかく、今回、意を決して仕上げてみたら、結局、6万5千字を超えました。400字詰め原稿用紙で160枚 以上。倍どころじゃすまなかった。
 長編を書き慣れている方にしてみたらどうってことのない数字なんだろうと思うのですが、私的にはびっくりです。

 そんなわけで、何年越しかでようやく仕上げて、そういう意味での達成感はあるのですが、その一方で、長く温めて (?) いたからいいとか、文字数が多ければいいってもんでもないんだなぁという気もひしひしと・・・
 けど、書いてて楽しかったです。ラブラブな2人はもちろんですが、私はこのくらいの友達以上恋人未満の時期が好きなんだよなぁと、改めて思いました。
 ある意味、とっても 「同人的」なお話です。なにが 「同人的」 なのかは、また今度。
 そしてまた、色んな意味で 「昭和」 な話です。何が 「昭和」 なのかもまた今度。

 そもそも私は源岬の話をシリーズとして書き始めたわけではなかったんですが、気が付けば岬君の第一次フランス時代に関してはちょっとシリーズっぽくなっていってるかも。
 上記のお誕生日サイトの準備中にその辺りの話を色々書いた、というか、例によって下書きのみで放置してあるので、暇を見て仕上げつつ、ぼちぼちアップして行こうと思っております。
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 さて、平成版を全て見終えました。まだあと3編残っているけれど、それはおまけみたいなものらしいし、気持ち的には「ヨミ編」で終わりなので、ここで一旦所感を。

 まぁ、一言で言えば、「同人アンソロジー」のようなシリーズだったなぁという印象です。
「009」好きの人がそれぞれの萌えとキャラ解釈と設定で好き勝手に話を書いているという感じ。
 だから、話によってキャラや特殊能力の設定に違いが出てきてしまい、あちこちブレまくり。単品としてはそれなりに面白くても、シリーズ全体を通して見ると矛盾が気になって仕方がない。
 そしてまた、シリーズ構成のバラバラさ加減、前後の繋がり皆無感も「アンソロジー」っぽい感じを醸し出していました。
 色んな人がそれぞれに原作を解釈し、時にマイ設定を考え、それを作品にするのがアニメ漫画同人で、アンソロジーというのはまさにその色とりどりのモザイク感が面白いところだと思うんですが、公式の1シリーズでそれをやるのは、いくらなんでも滅茶苦茶だよなぁ。
 複数の人が脚本書いてるっていっても、シリーズの構成やキャラの基本設定については大筋のコンセンサスがあるもんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょうね。

 マイ設定と言えば、平成版ではこれまでにない新設定が色々出てきました。
その中でも注目されたのが、第一世代設定と加速装置の使用制限だと思われますが、結局どっちもまるっきり意味がないまま終了。
 いや、第一世代に関しては、まだ「ハインリヒの過去話を救済するため」っていう理由があった(というかそれしかなかった)んだろうということは分かるのですが、加速装置の使用制限に至ってはそういう裏事情的な意味も分からない上、それに言及された2話以外ではまるっきり制限がないっぽかったので、もう本当に何が何やら。
 無駄設定と言えば、フランソワーズが電子工学専攻ってのもあったなぁ。こういう妙にハイスペックな設定があるところも、「同人っぽい」と思わせる原因なのかも。

 同人っぽいと思ったのは更にもう1つ、本筋とは関係ない、いわゆる 「バラエティ編」 が比較的出来が良くて、印象に残っているからかも しれません。
 男性向け同人については知識皆無だし、「009」 同人界がどうなのかも分からないんですが、女性向け同人って「人間関係」 とか 「キャラの内面」 を描くものが多いですよね 。その手のサイドストーリーが一番、キャラが 「らしく」 描かれているのです。
 いやまぁ、「らしく」というのは、あくまでも私の主観ですが。
「機々械々」 は、ハインリヒの例のセリフが個人的には微妙な感じはしたけれど、平成4的にはあれでいいんだろうと思うし、それなりに面白かった。
「張々湖飯店」もオールスターズで面白かったし、ほぼ唯一の 「仲間の絆」 が描かれたお話だった。
 ジョーに関して言えば、全編通して一番ジョーらしいと思ったのは 「凍結時間」 と 「星祭りの夜」 でした。
 
さてさて、キャラ改変についてですが。
 一番変更されたのは2だと思いますが、これは成功していたのではないかと思っています。彼がやんちゃなアホキャラになったことで、話がスムーズに進むこともあったし。
 ただ、わざわざジョーと同世代にし、ある意味真逆のキャラにしたからには、なんかもうちょっとぶつかり合いやら友情やら何やらがあっても良かったのではないかと。
 時々 「遠い目をしてる」 だの 「髪の毛くしゃくしゃ」だの、妙に女性向け二次っぽい描写があったりはしたものの、これと言った2人のエピソードは無し。特にジョーからジェットへの働きかけが皆無なんだよね。
 これはこの2人に限ったことじゃないですが、ずっとコードナンバー呼びだったっていうのもなぁ。
 だから、ヨミ編ラストでいきなり、
「死ぬときは一緒だって言ったはずだ」
「ジョー、君はどこに落ちたい?」
 って言われてもなぁ・・・と。
 一体、いつの間にそんなに仲良くなったの?っていう。

 キャラ改変で一番成功していたのは8だよね。これは文句なく原作を含めたこれまでの作品中で一番良かったのではないかと思います。今回のピュンマはビジュアルを含めて本当にカッコよかった。
 まぁ、原作のあのビジュアルがイカンと言うのは、ちょっと腑に落ちないものがありはしますが。
 5も口数は少ないながらの普通にしゃべるようになって、重要度が増しておりました。多分、世間的には好意的に迎えられているのではないかと思うのですが、実は、私は平成の5はちょっと苦手だったなぁ。
 なんつーかね、少ない台詞の全てが 「正しいこと」 であり 「いい台詞」 なんですよ。彼の台詞で全て纏まっちゃう。なんつーかこう、遊びのないキャラだなぁと。
 私、原作と79年版のジェロニモが大好きで、あの岩を持ち上げるシーンに大変萌えたりしていまして、彼の出番があるととっても嬉しかったものですが、平成ジェロニモは割とどうでも良かったなぁ・・・ いや、これは単に私の心が歪んでいるのかもしれませんが。

 4については、どうしてあんな改変をしちゃったのかなぁと。
「009」って4と9のコントラストがいいアクセントになっているのに、4が9のようなキャラになっちゃったら意味がないじゃないか。しかも、結局最後には原作キャラに戻しちゃうしさ〜。

 そして、やはり 語らずにはいられない島村くんについて。
 いや、別にジョーを寸分の隙もない超絶ヒーローに描いてくれ、常に彼が一番目立たなくては駄目だと言っているわけではなく、むしろそんなことをされては困るわけですが、いくらなんでも平成ジョーは弱すぎるし、影が薄すぎる。

 まず、「孤児」 「混血児」 「元不良」 っつー、三種の神器的な過去の2つまではあっさりないことにされて(混血児ってのは全く言及されてないので、なかったとみなしてよいかと)、教会育ちのピュアな可愛い子ちゃんになっちゃった。放送コードだかなんだか知らないが、ハインリヒの過去は 「第一世代」 なんて設定を作ってまで死守したのにね!(←ひがんでます)
 ジョーの魅力は強さと裏腹のあのナイーブさだと思うのですが、そのナイーブさはあくまでも 「強さと裏腹」 だから魅力的なわけであって、ひたすらナイーブなだけっていうのはなぁ。ナイーブ通り越してナーバスになっちゃってる感じだし。
 望んでいるわけではないのに超絶に強くて兵器として抜群であるっていうのが、彼の苦悩に拍車を掛けていると思うのですが、平成ジョーはヘナチョコなので、そういう部分もとっても薄い。
 
 そしてまた、ジョーが弱いので相手の強さもよく分からない。
 ジョーが普通に強く描かれていれば、「ジョーがこれだけやられているということは、相手はよっぽど強いんだろう 」 と思うんだけど、いつもやられているので、「またか」 としか思えないわけですよ。「この人弱いんだから、敵の大将と戦わせなきゃいいのに。リーダーであるハインリヒか、戦闘のプロであるピュンマがやれよ」 と。
 いや、敵の大将は大抵、高性能の加速装置持ちなんで、ジョーが当たるほかないんですが、それを差っぴいても、「この島村に比べたら、たとえ加速装置がなくてもハインリヒかピュンマの方がナンボかマシなのでは」 と思ってしまうわけです。
 いや、今思い起こしてみると、それなりにちゃんと仕事はしてるんだけれども、全体的に凛とした雰囲気がないから、どうも弱っちく見えちゃうんだよなぁ。

 そんなんだから、ヨミ編ラストでなんでジョーが魔神像に送られたのか、その必然性が今一つピンとこない。
 平成版では「成長を描く」ってことだったので、最初の内は色々迷ったり弱かったりしてもいいと思うし、徐々に成長していっていたのなら、ヨミ編もすんなりのみ込めたと思うのです。
 が、島村くんは常に一貫して弱かった。何かあっちゃ悩んでは気絶してた。色々ブレまくりのこのシリーズで、これだけは一貫してました。
 ヤケモードになると突発的に最強サイボーグになったりしたけれども、それが逆に「キレると何をしでかすかわからない」みたいな感じで精神的な未熟さを感じさせないでもないっていうね。
 「ヨミ編」でいきなり強くなったけど、強くなった途端に流れ星になってしまいました。「ひどい、ひどいわ!わーっ!」と、フランソワーズじゃなくても泣きたくなるというものです。
 最終的に 「平凡な人間の持つ可能性」 みたいな路線で行きたかったのかなぁと思わないでもないんだけど、やっぱりちょっと腑に落ちない部分は残るよね。

 あ、いや、それでも私、平成の島村君はとっても好きなのです。上でも書いたけど、サイドストーリーの島村くんは、これぞまさに ”島村ジョー”、って感じでした。そのほか、色々悩み迷ってる姿も、やっぱり島村ジョーだった。
 たださぁ、”009”の部分が全然駄目だったんだよなぁ・・・

 色々文句ばっかり書いているのですが、これは多分 「惜しい」 という気持ちが書かせるんだろうなぁと思うのですよ。
 いや、本当に惜しいと思うんだよなぁ。ビジュアルは文句なしだし (作画がちゃんとしてればだけど)、キャラ改変だって成功している部分もたくさんあるんだけどなぁ。
 どうしてこんなことになっちゃったのかなぁ。というのが、平成版のまとめです。
  
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