Dum loquimur, fugerit invida aetas. Carpe diem, quam minimum credula postero.
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♥ 続・岬君の夢
さて、岬君が自分の 「夢」 として 「オリンピック優勝」 を選んだのには、「1人に1個のメダル」 という理由のほかに、「今まで日本はW杯には出場すらしてないけど、メキシコ五輪では銅メダルを取っている。五輪の方が可能性がある」 ってのがあるわけです。
まずこれが、すごく岬君らしいなぁと。すごくシビアっていうか、現実的っていうか。
いや、当時にしてみれば (あるいは今でも) 「五輪優勝」 もかなり大それた夢なんだけど、それでも現実と常識の範囲内で考えつつ、あんまり突飛な夢を見ることはしない。地に足が付いている。
ま、悪く取れば、子供のくせに現実にとらわれ過ぎとも言えますが、岬君はずっとそういう風に生きてこなくてはならなかったわけなんで、そういう意味でも岬君らしいなぁと (まぁ、岬君が 「シビアで現実的な思考をする人である」 という認識は、個人的にはWY編でちょっと崩れたんですが、それはまたいずれ)。
一方翼は、サッカーの世界一はW杯優勝だからW杯を目指すんだって言ってのけるわけです。すごく単純。
「でも翼君、日本はまだW杯に出たことがないんだよ」 と、岬君に突っ込まれても、「だからこそ俺が出場させ、優勝させるんだ」 と言い、更には岬君の五輪の夢を聞いて、「それもいいね。W杯も五輪も両方獲ろう!」 と、こう来るわけです。
W杯は出場したことがない。五輪もずっと昔に1度銅メダルを取っただけ。自国にプロリーグすらない。そもそもサッカーとラグビーの区別がつかないような人がわんさかいる。
そんな時代にこんなことを本気で言っちゃうわけですよ、翼は。馬鹿でしょう、はっきり言って。
この馬鹿さ加減が実に翼らしいなぁと思って、ちょっとニコニコしてしまいました。
頭空っぽの方が夢詰め込めるって、本当だよね (誉めてます)。
そんでもって、この2人の立ち位置が凄く面白いなと。
岬君は現実を考慮した上で 「オリンピック」 を選んでいるわけですが、反面、この「夢」 の実現についてそれほど深く考えてはいないような気がするんだな。
だって、主たる目的が 「父さんに金メダル」 だもの (少なくとも私にはそう思える)。お友達ツールの側面もまだまだ大きかったでしょうし、石にかじりついてでもサッカーってほどの気迫や執念を感じない。
いや、深く考えてないのが駄目ってわけじゃないんです。むしろこの年で 「石にかじりついてでも」 って思い詰めてる方が特殊だよね。
まぁ、詰まる所、翼に会うまでの岬君の 「夢」 って 「憧れ」 と同義語なんじゃないかと思うんですよ。シビアで現実的な選択をしながらも、実際のところは漠然とした 「憧れ」 や 「夢物語」 の域を出ていない。具体的に将来をプロジェクト出来る環境にないから、どうしたって抽象的な憧れにしかなりようがないだろうしね。
本気じゃなかったってことではなく、ただ、「こうなったらいいなぁ」 っていう、そういう意味での 「夢」 だったんじゃないかなぁと。
一方翼は、時代を考えると本当に荒唐無稽としか言いようのない事を言ってるんですが、100%本気なんだよね。「こうなったらいいなぁ」 じゃなくて、「こうしてみせる」 って思ってる。
そもそも、岬君がサッカーで友達を作ってたのと対照的に、友達から孤立したって頑固にサッカーを選んじゃう人ですからね。特殊すぎるよ。
翼にはサッカーしかない。その執着心たるや、 「俺の部屋って感じだ!」 のあの部屋を見たら一目瞭然です。もう、本気も本気です。
彼にとって 「プロのサッカー選手になること」 や 「W杯優勝」 は単なる 「憧れ」 じゃなくて、実現するべき 「目標」 という意味での 「夢」。
夢見る夢男君のように見えながら、現実なんてそっちのけで夢をがむしゃらに追いかけることで、翼は結果的に現実の 「目標」 としてサッカーに取り組んでいるんだよね。
物事の現実性の高さってのは、内容の 「難易度」 はもちろん、その人の 「本気度」 ってのも大きいだろうと思います。
どんなに簡単そうなことでも (例えば、”お昼にラーメン食べたいなぁ” 程度でも)、本気で取り掛からなければ現実世界の話にはならなくて、頭の中の単なる 「夢物語」 で終わっちゃう。
逆にどんなに難しそうに見えても、本気で取り組めば、それは 「目標」 という形でとりあえず現実世界の話になるわけです。まぁ、それが実現するかどうかはまた別問題ですが。
「憧れ」 と 「目標」 のこの対比が面白いなぁと、2人のシーンを読んで思ったのでした。
「今まで出たことがないからこそ、俺がW杯に日本を出場させて優勝するんだ」 という翼の言葉を聞いて、岬君、一瞬無言になるんですよね。
あの時の岬君のびっくりしたような、呆れたような、感銘を受けたような顔がとってもツボでした。
実際、びっくりして、呆れて、感銘を受けたんでしょう。翼が 「W杯優勝」 を100%本気で言ってるってことに。目からウロコ状態。
Jr.ユースのフランス戦で、岬君は例によって例のごとくドリブルをしながら考え事をしていて、
「日本チームは寄せ集めだけど、実際には既に3年前から1つのことに向かって動き出していた。それが翼君の言った 『ワールドカップ優勝』 の言葉。あの言葉に、僕も若林君もそのほかのみんなも心を動かされたんだ」
ってなことを思っています。翼の言葉はやっぱり凄いインパクトだったんだよね。
G-23を踏まえて考えるならば、そのインパクトは 「夢」 の質の違いというか、本気度の違いによるものだったんじゃないかなと。
岬君がもともと翼と同じ意味、同じ本気度でオリンピックを夢見ていたのだとしたら、翼がより難易度の高いW杯を目指していることに驚きはしたかもしれないけど、「心を動かされた」 っていうまでのインパクトはなかったんじゃないかと思うわけです。
五輪優勝だって、当時の日本にしてみれば相当な無理難題だもの。
まずこれが、すごく岬君らしいなぁと。すごくシビアっていうか、現実的っていうか。
いや、当時にしてみれば (あるいは今でも) 「五輪優勝」 もかなり大それた夢なんだけど、それでも現実と常識の範囲内で考えつつ、あんまり突飛な夢を見ることはしない。地に足が付いている。
ま、悪く取れば、子供のくせに現実にとらわれ過ぎとも言えますが、岬君はずっとそういう風に生きてこなくてはならなかったわけなんで、そういう意味でも岬君らしいなぁと (まぁ、岬君が 「シビアで現実的な思考をする人である」 という認識は、個人的にはWY編でちょっと崩れたんですが、それはまたいずれ)。
一方翼は、サッカーの世界一はW杯優勝だからW杯を目指すんだって言ってのけるわけです。すごく単純。
「でも翼君、日本はまだW杯に出たことがないんだよ」 と、岬君に突っ込まれても、「だからこそ俺が出場させ、優勝させるんだ」 と言い、更には岬君の五輪の夢を聞いて、「それもいいね。W杯も五輪も両方獲ろう!」 と、こう来るわけです。
W杯は出場したことがない。五輪もずっと昔に1度銅メダルを取っただけ。自国にプロリーグすらない。そもそもサッカーとラグビーの区別がつかないような人がわんさかいる。
そんな時代にこんなことを本気で言っちゃうわけですよ、翼は。馬鹿でしょう、はっきり言って。
この馬鹿さ加減が実に翼らしいなぁと思って、ちょっとニコニコしてしまいました。
頭空っぽの方が夢詰め込めるって、本当だよね (誉めてます)。
そんでもって、この2人の立ち位置が凄く面白いなと。
岬君は現実を考慮した上で 「オリンピック」 を選んでいるわけですが、反面、この「夢」 の実現についてそれほど深く考えてはいないような気がするんだな。
だって、主たる目的が 「父さんに金メダル」 だもの (少なくとも私にはそう思える)。お友達ツールの側面もまだまだ大きかったでしょうし、石にかじりついてでもサッカーってほどの気迫や執念を感じない。
いや、深く考えてないのが駄目ってわけじゃないんです。むしろこの年で 「石にかじりついてでも」 って思い詰めてる方が特殊だよね。
まぁ、詰まる所、翼に会うまでの岬君の 「夢」 って 「憧れ」 と同義語なんじゃないかと思うんですよ。シビアで現実的な選択をしながらも、実際のところは漠然とした 「憧れ」 や 「夢物語」 の域を出ていない。具体的に将来をプロジェクト出来る環境にないから、どうしたって抽象的な憧れにしかなりようがないだろうしね。
本気じゃなかったってことではなく、ただ、「こうなったらいいなぁ」 っていう、そういう意味での 「夢」 だったんじゃないかなぁと。
一方翼は、時代を考えると本当に荒唐無稽としか言いようのない事を言ってるんですが、100%本気なんだよね。「こうなったらいいなぁ」 じゃなくて、「こうしてみせる」 って思ってる。
そもそも、岬君がサッカーで友達を作ってたのと対照的に、友達から孤立したって頑固にサッカーを選んじゃう人ですからね。特殊すぎるよ。
翼にはサッカーしかない。その執着心たるや、 「俺の部屋って感じだ!」 のあの部屋を見たら一目瞭然です。もう、本気も本気です。
彼にとって 「プロのサッカー選手になること」 や 「W杯優勝」 は単なる 「憧れ」 じゃなくて、実現するべき 「目標」 という意味での 「夢」。
夢見る夢男君のように見えながら、現実なんてそっちのけで夢をがむしゃらに追いかけることで、翼は結果的に現実の 「目標」 としてサッカーに取り組んでいるんだよね。
物事の現実性の高さってのは、内容の 「難易度」 はもちろん、その人の 「本気度」 ってのも大きいだろうと思います。
どんなに簡単そうなことでも (例えば、”お昼にラーメン食べたいなぁ” 程度でも)、本気で取り掛からなければ現実世界の話にはならなくて、頭の中の単なる 「夢物語」 で終わっちゃう。
逆にどんなに難しそうに見えても、本気で取り組めば、それは 「目標」 という形でとりあえず現実世界の話になるわけです。まぁ、それが実現するかどうかはまた別問題ですが。
「憧れ」 と 「目標」 のこの対比が面白いなぁと、2人のシーンを読んで思ったのでした。
「今まで出たことがないからこそ、俺がW杯に日本を出場させて優勝するんだ」 という翼の言葉を聞いて、岬君、一瞬無言になるんですよね。
あの時の岬君のびっくりしたような、呆れたような、感銘を受けたような顔がとってもツボでした。
実際、びっくりして、呆れて、感銘を受けたんでしょう。翼が 「W杯優勝」 を100%本気で言ってるってことに。目からウロコ状態。
Jr.ユースのフランス戦で、岬君は例によって例のごとくドリブルをしながら考え事をしていて、
「日本チームは寄せ集めだけど、実際には既に3年前から1つのことに向かって動き出していた。それが翼君の言った 『ワールドカップ優勝』 の言葉。あの言葉に、僕も若林君もそのほかのみんなも心を動かされたんだ」
ってなことを思っています。翼の言葉はやっぱり凄いインパクトだったんだよね。
G-23を踏まえて考えるならば、そのインパクトは 「夢」 の質の違いというか、本気度の違いによるものだったんじゃないかなと。
岬君がもともと翼と同じ意味、同じ本気度でオリンピックを夢見ていたのだとしたら、翼がより難易度の高いW杯を目指していることに驚きはしたかもしれないけど、「心を動かされた」 っていうまでのインパクトはなかったんじゃないかと思うわけです。
五輪優勝だって、当時の日本にしてみれば相当な無理難題だもの。
以前のサイトにはよく書いていたのですが、翼って岬君の人生を変えちゃった人だと思うのですよ。
翼と出会わなかったら、「全日本でもコンビを組もう」 が無かったら、岬君って草サッカーか、精々部活サッカーで終わりにしてたんじゃないかなと。高校、大学になれば、お友達づくりツールの面も殆んどなくなるだろうしね。
もちろん、翼と会う前からどこへ行くにもサッカーボール蹴って行ったり、路上でシュート練習して源三さんに 「街中でむやみに云々」 と言われるくらいにはサッカー少年だったわけだけれど、その頃の岬君がサッカーにそれほど命がけだったとは思えない。
ところが、翼に出会っちゃった。
以前は翼が岬君に 「夢」 を与えてくれたのだと思っていましたが、G-23のエピソードを踏まえて考えるならば、翼の得体のしれない本気の熱さに心を動かされたその時から、岬君の持っていた 「夢」 が抽象的な 「憧れ」 から具体的な 「目標」 になったんじゃないかなぁと思うわけです。
その動機も、「父さんに金メダルを掛けてあげたい」 だけでなく 「翼君たちと一緒に世界を目指したい」 って思いが加わってくる。
で、「全日本でもコンビを組もう」 でダメ押しですよ。
翼が 「一緒に夢を見ようよ。俺の隣を走るのは岬君だよ」 って言ってくれたわけで、根なし草のような岬君にとって、自分の居場所を将来に渡って約束してくれたこの言葉は正に殺し文句だよね。反則だよなぁ、主人公。
放浪続きで出会いと別れを繰り返していた岬君ですが、松山君や小次郎、特に松山君と全国大会で思いがけず再会したことで、サッカーを続けることで友達と繋がることができる、別れてもまた会えるんだっていうのを感じたんじゃないかと思うのです。
でも、それはまだ岬君の気持ちを動かす決定打にはなってない。これまでの色々があるんで、「これは単なる偶然だ、あんまり期待しない方がいい」 と無意識に警戒しているところがあったりするのかもしれません (我が家的には、源三さんにその辺りを力説されて、ちょっと信じてみようかって気になってます)。
が、そこに翼の 「全日本でもコンビを組もう」 ですよ。
なんつーか、色々とドンピシャな言葉だよね、ホント。
この言葉を実現するのは単なる偶然じゃなくて意志の力。だから私としては、この言葉は岬君にとってサッカーを続けるための原動力であり、夢そのものだっただろうと思っています。
で、これもG-23を踏まえて考え直すならば、岬君はこれまで五輪優勝に憧れてはいたものの、「誰と」「どんなふうに」 ってのは全く見えてなかった、というか、見ることが出来る環境ではなかった。
が、翼はそういうあれこれを全て岬君に与えて、確固たる 「夢」 にしてくれたんじゃないかなぁと思うのです。
だからやっぱり、どう転んでも岬君にとって翼は特別な存在なんだよなぁ。悔しいことに。
我が家では岬君の帰るところは源三さんの元ですが、ピッチ上でのホームポジションは翼の隣。岬君にとっては誰にも譲れないポジションであり、背番号11なのです (まぁ、この点については、今後少々岬君の意識改革が必要なのではないかと思っていますが、それは次回に)。
そんなわけで、「夢はオリンピック」 っていうエピソードが入ってきても、翼が岬君の人生を変えたっていう印象そのものは変わらないんだな。
まぁ、岬君って思ってたよりもずっとサッカー少年だったんだなという感じではありますが、事の本質は変わってない。
「大きくなったらケーキ屋さんになりたい」 っていう子のほとんどが、実際に大人になった時には全く違う職業に就くように、もし翼に会うことが無かったら、岬君はサッカーは趣味にとどめて、全然違う道を歩んでいたんじゃないかな。
で、「子供の頃はオリンピックで優勝するのが夢だったんだよね」 なんて、笑って話のネタにしてるんじゃないかと思います。
そんな岬君の目を本当の意味で世界に向け、本気で 「夢」 を追い始めさせたのはやっぱり翼なんだよなぁと。
最近では翼に批判的なことばかり書いている私ですが、「夢」 に一直線な翼のこういうところは本当に大好きなんですよ。この馬鹿馬鹿しいほどの熱さが 「キャプテン翼」 という作品の原点だと思うし、こういう夢見る馬鹿がいるから世界が面白くなるんだと思うしさ。
ただ、「こういう翼は好きだ」 と思うのは、これが小学生時代のエピソードだからかもしれないけど。
「夢」 へのステップアップを階段ではなく、エレベーターであっという間に何の苦もなく行ってしまう最近の翼は、やっぱりどうかと思うんだよなぁ。
・・・あ、やっぱり翼批判になっちゃった。
いや、批判っていうかね、可哀想だと思っているのです、翼に関しては。なんだか超絶に描かれ過ぎて、逆に中身のないお飾りみたいになっちゃってるもの。
とりとめなく長々と書いてきましたが、まぁ、齟齬が出てきて困るところもあるし、脳内設定の修正を強いられながらも、わりと好きなんですよ、この後付け設定。
一方、初読の時はなかなかいいんじゃないかと思っていた健ちゃんのFWコンバートの方は、その後考えるにつれ、色々ダメなんじゃないかと思い始めたぞ。いや、これについては特に語りはしませんが。
翼と出会わなかったら、「全日本でもコンビを組もう」 が無かったら、岬君って草サッカーか、精々部活サッカーで終わりにしてたんじゃないかなと。高校、大学になれば、お友達づくりツールの面も殆んどなくなるだろうしね。
もちろん、翼と会う前からどこへ行くにもサッカーボール蹴って行ったり、路上でシュート練習して源三さんに 「街中でむやみに云々」 と言われるくらいにはサッカー少年だったわけだけれど、その頃の岬君がサッカーにそれほど命がけだったとは思えない。
ところが、翼に出会っちゃった。
以前は翼が岬君に 「夢」 を与えてくれたのだと思っていましたが、G-23のエピソードを踏まえて考えるならば、翼の得体のしれない本気の熱さに心を動かされたその時から、岬君の持っていた 「夢」 が抽象的な 「憧れ」 から具体的な 「目標」 になったんじゃないかなぁと思うわけです。
その動機も、「父さんに金メダルを掛けてあげたい」 だけでなく 「翼君たちと一緒に世界を目指したい」 って思いが加わってくる。
で、「全日本でもコンビを組もう」 でダメ押しですよ。
翼が 「一緒に夢を見ようよ。俺の隣を走るのは岬君だよ」 って言ってくれたわけで、根なし草のような岬君にとって、自分の居場所を将来に渡って約束してくれたこの言葉は正に殺し文句だよね。反則だよなぁ、主人公。
放浪続きで出会いと別れを繰り返していた岬君ですが、松山君や小次郎、特に松山君と全国大会で思いがけず再会したことで、サッカーを続けることで友達と繋がることができる、別れてもまた会えるんだっていうのを感じたんじゃないかと思うのです。
でも、それはまだ岬君の気持ちを動かす決定打にはなってない。これまでの色々があるんで、「これは単なる偶然だ、あんまり期待しない方がいい」 と無意識に警戒しているところがあったりするのかもしれません (我が家的には、源三さんにその辺りを力説されて、ちょっと信じてみようかって気になってます)。
が、そこに翼の 「全日本でもコンビを組もう」 ですよ。
なんつーか、色々とドンピシャな言葉だよね、ホント。
この言葉を実現するのは単なる偶然じゃなくて意志の力。だから私としては、この言葉は岬君にとってサッカーを続けるための原動力であり、夢そのものだっただろうと思っています。
で、これもG-23を踏まえて考え直すならば、岬君はこれまで五輪優勝に憧れてはいたものの、「誰と」「どんなふうに」 ってのは全く見えてなかった、というか、見ることが出来る環境ではなかった。
が、翼はそういうあれこれを全て岬君に与えて、確固たる 「夢」 にしてくれたんじゃないかなぁと思うのです。
だからやっぱり、どう転んでも岬君にとって翼は特別な存在なんだよなぁ。悔しいことに。
我が家では岬君の帰るところは源三さんの元ですが、ピッチ上でのホームポジションは翼の隣。岬君にとっては誰にも譲れないポジションであり、背番号11なのです (まぁ、この点については、今後少々岬君の意識改革が必要なのではないかと思っていますが、それは次回に)。
そんなわけで、「夢はオリンピック」 っていうエピソードが入ってきても、翼が岬君の人生を変えたっていう印象そのものは変わらないんだな。
まぁ、岬君って思ってたよりもずっとサッカー少年だったんだなという感じではありますが、事の本質は変わってない。
「大きくなったらケーキ屋さんになりたい」 っていう子のほとんどが、実際に大人になった時には全く違う職業に就くように、もし翼に会うことが無かったら、岬君はサッカーは趣味にとどめて、全然違う道を歩んでいたんじゃないかな。
で、「子供の頃はオリンピックで優勝するのが夢だったんだよね」 なんて、笑って話のネタにしてるんじゃないかと思います。
そんな岬君の目を本当の意味で世界に向け、本気で 「夢」 を追い始めさせたのはやっぱり翼なんだよなぁと。
最近では翼に批判的なことばかり書いている私ですが、「夢」 に一直線な翼のこういうところは本当に大好きなんですよ。この馬鹿馬鹿しいほどの熱さが 「キャプテン翼」 という作品の原点だと思うし、こういう夢見る馬鹿がいるから世界が面白くなるんだと思うしさ。
ただ、「こういう翼は好きだ」 と思うのは、これが小学生時代のエピソードだからかもしれないけど。
「夢」 へのステップアップを階段ではなく、エレベーターであっという間に何の苦もなく行ってしまう最近の翼は、やっぱりどうかと思うんだよなぁ。
・・・あ、やっぱり翼批判になっちゃった。
いや、批判っていうかね、可哀想だと思っているのです、翼に関しては。なんだか超絶に描かれ過ぎて、逆に中身のないお飾りみたいになっちゃってるもの。
とりとめなく長々と書いてきましたが、まぁ、齟齬が出てきて困るところもあるし、脳内設定の修正を強いられながらも、わりと好きなんですよ、この後付け設定。
一方、初読の時はなかなかいいんじゃないかと思っていた健ちゃんのFWコンバートの方は、その後考えるにつれ、色々ダメなんじゃないかと思い始めたぞ。いや、これについては特に語りはしませんが。
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