Dum loquimur, fugerit invida aetas. Carpe diem, quam minimum credula postero.
カテゴリー「♥ キャプテン翼」の記事一覧
- 2025.04.28 [PR]
- 2010.10.03 ♥ どこにもないパリ
- 2010.10.01 ♥ 蔵出し!
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パリでデートする2人を書きたいというのが、現在連載中のお話の目的の1つでもありました。
が、そこをあんまり詳しくやってるとどんどこ本筋からずれて長くなって行ってしまうし、ガイドブックの書きうつしみたいになってしまうので、結局エッフェル塔以外はざっと主要観光スポットの名前を出したくらいで終わっちゃった。
ま、あとは読む方の想像力にお任せです。よろしく!
適当なルートなので、パリにお詳しい方からすると、回る効率が悪かったり、色々位置や距離関係がおかしなことになっているかもしれませんが、まぁ、我が家のパリ (どんなだ) はそういう地理になってるってことで。
ところで、岬君の家ってどの辺なんでしょうね。
原作を見ると、岬親子の住んでいる家って結構よさげな物件なんですよね。結構広いし (まぁ、C翼界の空間はアレですが)、それなりに部屋数もありそう。とりあえず、ちゃんとアトリエ専用の部屋が1室あるっぽいので安心しました。
いや、日本放浪時代の岬家、ちょっと心配だったんだよなぁ。6畳一間みたいなアパートだしさ、油絵具の匂いの中でご飯食べたり寝たりしてたのかなぁと。慣れればなんてことないのかもしれませんが、でもねぇ。
下成さんがどれほどのお金持ちなのかは知りませんが、一郎さんの才能を買ってわざわざ援助したいって申し出てくれ、何度も渡仏を勧めるくらいだから、「岬君、衣食住は基本だよ。良い芸術は良い環境から生まれるんだから」とかなんとか言って、恐縮遠慮する一郎さんに構わず、金に糸目をつけず、素敵な物件を見つけてくれたんでしょう。
フランス時代の岬家は、基本的な生活はそれなりに恵まれた水準だけれども、一郎さんも岬君も援助を受けているということを念頭に、贅沢はしていなかっただろう、というようなイメージです。
で、話は戻って岬家の場所ですが、翼と再会した時、岬君はドリブルしながらロードワーク(?)みたいな感じだったので、私としては、エッフェル塔からそう離れた所ではないんだろうなぁと思ったりしています。
だって、ロードワークするのにわざわざボール持ってメトロに乗って、特にボールを蹴るのに適しているとも思えないエッフェル塔周辺まで出ないよね。
ロードワークみたいな大袈裟なもんじゃなくて散歩程度の話だったら、より一層そうだよね。
てなわけで、きっとエッフェル塔から徒歩圏内なんだろうと。徒歩圏内って言ったって幅広いでしょうが、それでも精々、エッフェル塔がロードワークの折り返し地点、くらいの感じかなぁ。
あと、今回のお話ではガルニエからモンマルトルの間あたりに岬君が日頃草サッカーをやってるグラウンド (の1つと言うべきか) があるようなことになってますが、実際にあの辺にグラウンドがあるのかは知りません。知りませんが、とりあえず、我が家のパリはそういう地理になってるってことで!
大昔にパリに行った時にモンマルトルの階段を見て、「あ、これ、岬君がリフティングしてた階段だ」と思ったのですが、当時はC翼のことは 「何もかも全て懐かしい・・・」 くらいの気持ちだったので、それ以上は気にとめてなかったんだよなぁ。
ピー様と岬君が言葉不要の熱いアレコレをしたのは、チュルリュール公園なのかな。今だったら、観光地そっちのけで岬君ゆかりの地巡りしちゃうのになぁ。
モンマルトルと言えば、一郎さん、モンマルトルで絵を描いたりしているのがよく分からん。
山岳画家だよね・・・?それとも、あそこにはただ単に絵を売りに行ってただけなのかなぁ。
でも、どうもパリ時代の一郎さんはユトリロチックな街の絵も描いているみたいだし、勉強のために色々な画題にチャレンジしてるんですかね。大いなる自然を描くためには大いなる人工も描いてみなければ、とかなんとか言って。
まぁ、数々の疑問の正解は、「陽一先生が何も考えていない」 だと思うのですが、それを言ったらお終いなので、言わなかったことにしておこうと思います。
が、そこをあんまり詳しくやってるとどんどこ本筋からずれて長くなって行ってしまうし、ガイドブックの書きうつしみたいになってしまうので、結局エッフェル塔以外はざっと主要観光スポットの名前を出したくらいで終わっちゃった。
ま、あとは読む方の想像力にお任せです。よろしく!
適当なルートなので、パリにお詳しい方からすると、回る効率が悪かったり、色々位置や距離関係がおかしなことになっているかもしれませんが、まぁ、我が家のパリ (どんなだ) はそういう地理になってるってことで。
ところで、岬君の家ってどの辺なんでしょうね。
原作を見ると、岬親子の住んでいる家って結構よさげな物件なんですよね。結構広いし (まぁ、C翼界の空間はアレですが)、それなりに部屋数もありそう。とりあえず、ちゃんとアトリエ専用の部屋が1室あるっぽいので安心しました。
いや、日本放浪時代の岬家、ちょっと心配だったんだよなぁ。6畳一間みたいなアパートだしさ、油絵具の匂いの中でご飯食べたり寝たりしてたのかなぁと。慣れればなんてことないのかもしれませんが、でもねぇ。
下成さんがどれほどのお金持ちなのかは知りませんが、一郎さんの才能を買ってわざわざ援助したいって申し出てくれ、何度も渡仏を勧めるくらいだから、「岬君、衣食住は基本だよ。良い芸術は良い環境から生まれるんだから」とかなんとか言って、恐縮遠慮する一郎さんに構わず、金に糸目をつけず、素敵な物件を見つけてくれたんでしょう。
フランス時代の岬家は、基本的な生活はそれなりに恵まれた水準だけれども、一郎さんも岬君も援助を受けているということを念頭に、贅沢はしていなかっただろう、というようなイメージです。
で、話は戻って岬家の場所ですが、翼と再会した時、岬君はドリブルしながらロードワーク(?)みたいな感じだったので、私としては、エッフェル塔からそう離れた所ではないんだろうなぁと思ったりしています。
だって、ロードワークするのにわざわざボール持ってメトロに乗って、特にボールを蹴るのに適しているとも思えないエッフェル塔周辺まで出ないよね。
ロードワークみたいな大袈裟なもんじゃなくて散歩程度の話だったら、より一層そうだよね。
てなわけで、きっとエッフェル塔から徒歩圏内なんだろうと。徒歩圏内って言ったって幅広いでしょうが、それでも精々、エッフェル塔がロードワークの折り返し地点、くらいの感じかなぁ。
あと、今回のお話ではガルニエからモンマルトルの間あたりに岬君が日頃草サッカーをやってるグラウンド (の1つと言うべきか) があるようなことになってますが、実際にあの辺にグラウンドがあるのかは知りません。知りませんが、とりあえず、我が家のパリはそういう地理になってるってことで!
大昔にパリに行った時にモンマルトルの階段を見て、「あ、これ、岬君がリフティングしてた階段だ」と思ったのですが、当時はC翼のことは 「何もかも全て懐かしい・・・」 くらいの気持ちだったので、それ以上は気にとめてなかったんだよなぁ。
ピー様と岬君が言葉不要の熱いアレコレをしたのは、チュルリュール公園なのかな。今だったら、観光地そっちのけで岬君ゆかりの地巡りしちゃうのになぁ。
モンマルトルと言えば、一郎さん、モンマルトルで絵を描いたりしているのがよく分からん。
山岳画家だよね・・・?それとも、あそこにはただ単に絵を売りに行ってただけなのかなぁ。
でも、どうもパリ時代の一郎さんはユトリロチックな街の絵も描いているみたいだし、勉強のために色々な画題にチャレンジしてるんですかね。大いなる自然を描くためには大いなる人工も描いてみなければ、とかなんとか言って。
まぁ、数々の疑問の正解は、「陽一先生が何も考えていない」 だと思うのですが、それを言ったらお終いなので、言わなかったことにしておこうと思います。
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10月ですなぁ。
ってことで、倉庫サイトに、新作 「On Your Mark」 のプロローグと1をアップいたしました。
蔵出しをして倉庫に入れるというのもなんだか変な感じですが。
それはともかく、これ、私がこれまで書いた話の中ではダントツの長さでして、プロローグ+12回+エピローグという構成になります。
今日から12日間に渡っての連載となります。御用とお急ぎでない方は、どうぞお立ち寄りくださいませ。
実はこの話、一番最初のサイトを始めた2001年頃からずっと書こうと思ってい たものなので、私の脳内ではかなり長い付き合いになります。
まぁ、結局は書かないうちにサイトを閉めてしまいまして、とりあえずざっと下書きしてみたのが 「MAY 2006」 という岬君のお誕生日サイトの準備をしていた時。
なので、下書きですらかれこれ4年以上も前のことになります。どんだけ放置しておいたんだっつー話ですよ。
放置の理由はごく単純で、面倒臭かったから。
下書き時点で2万字ありまして、こりゃ、まともに書いたら倍になるなと思って、それっきり見て見ぬふりをしていたのでした。
いやぁ、下書きした時点で自分自身は妄想が吐き出せちゃうんで、いちいち仕上げなくてもいっか、って気分になっちゃうんだよなぁ・・・
まぁ、それはともかく、今回、意を決して仕上げてみたら、結局、6万5千字を超えました。400字詰め原稿用紙で160枚 以上。倍どころじゃすまなかった。
長編を書き慣れている方にしてみたらどうってことのない数字なんだろうと思うのですが、私的にはびっくりです。
そんなわけで、何年越しかでようやく仕上げて、そういう意味での達成感はあるのですが、その一方で、長く温めて (?) いたからいいとか、文字数が多ければいいってもんでもないんだなぁという気もひしひしと・・・
けど、書いてて楽しかったです。ラブラブな2人はもちろんですが、私はこのくらいの友達以上恋人未満の時期が好きなんだよなぁと、改めて思いました。
ある意味、とっても 「同人的」なお話です。なにが 「同人的」 なのかは、また今度。
そしてまた、色んな意味で 「昭和」 な話です。何が 「昭和」 なのかもまた今度。
そもそも私は源岬の話をシリーズとして書き始めたわけではなかったんですが、気が付けば岬君の第一次フランス時代に関してはちょっとシリーズっぽくなっていってるかも。
上記のお誕生日サイトの準備中にその辺りの話を色々書いた、というか、例によって下書きのみで放置してあるので、暇を見て仕上げつつ、ぼちぼちアップして行こうと思っております。