Dum loquimur, fugerit invida aetas. Carpe diem, quam minimum credula postero.
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◎ 『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』 (金水敏 著)
「名探偵コナン」の第20巻を買ってきました。こっちでは月一で発行になっているのですが、えーと、これってまだ日本では本誌連載続いてるんだよね?一体現在までに何巻単行本出てるんだろう?と調べてみて軽くびっくりしましたよ。
ご、ごじゅうよんかん?! おいおいちょっと待て、一体いつまで体は子供頭脳は大人なままなんだよ、どんだけ長いんだよお前の高校生活は、と一瞬思ったのですが、考えてみれば私がこよなく愛する漫画はせいぜい2時間半程度の出来事を何巻にも渡って続けてたよなぁ、アニメではセンターラインから相手ゴールエリアに辿り着くまでに何週間も掛かったりして、イタリア人選手に「日本ではイタリアとピッチの大きさが違うのかと思ってた」とまで言われていたよなぁと思い出し、気を長く持って受け入れることにしました。
で、読みながら、蘭の前頭部が▲って感じに出っ張ってるのはいつ見てもやっぱりちょっと変だよなぁ、中になんか入ってるのかなぁ、三角が無いほうが可愛いと思うんだけどなぁ、と考え、いや、私が何よりも愛している漫画ではヘンテコスタイル続出というか、主人公からしてよく分からない頭をしていたなぁと思い当たり、深く考えずに全てを受け入れることにした次第です。
判断基準がトンデモだと、大抵のことは受け入れられるようになれていいですね。
さて、それはともかく表題の本。これねー、待っていたよ、こういう本を!私のツボを正にピンポイント攻撃!amazonにお薦めされて即購入ボタンを押してしまったさ。
この間母が来た際に持ってきて貰ったのですが、ネットで本が注文できるって、いい時代になったよねー。つか、amazonにばっちり好みを把握されてるな、私・・・
と、まぁ、ネットの恩恵とamazonの如際無さっぷりについても取り合えずさておき、まずタイトルにもなっている「役割語」とは何なのかっつー話ですが、表紙カバーの折り返しにそのコンセプトが分かりやすく示してあるので、そこから引用。
「そうじゃ、わしが博士じゃ」としゃべる博士や、「ごめん遊ばせ、よろしくってよ」と言うお嬢様に、実際に会った事があるだろうか。現実に存在する・しないにかかわらず、いかにもそれらしく感じてしまう言葉づかい、これを役割語と名付けよう。誰がいつ作ったのか、何故みんなが知っているのか。そもそも一体何のために、こんな日本語があるのだろう」
要するに、「博士語(ワシは〜じゃ)」、「お嬢様語(わたくし〜でしてよ)」、「上司語(〜してくれたまえ)」、「外人語(〜アルヨ)」など、日本語の中のステレオタイプを扱っているわけですが、漫画や古典や各種文学作品を例に挙げながら、各役割語のルーツやその機能が分析されていてとっても面白い。
で、「コナン」も例として取り上げられております。「博士言葉」の体現者である阿笠博士の他に、「ヒーローは何故標準語か」 「関西弁キャラクターの特徴」などという章もあるので、まぁ、資料にはうってつけの作品なわけですな。
つーかね、私はこの本で初めて、アガサ博士は「阿笠」と書くのだと知りましたよ。
日本語って楽しいなぁと思うことの一つが、一人称、二人称の豊富さ。基本的な一人称は確か30個近くあるんだったかな。
で、人称の使い方如何で、性別や年齢やその人の立場や性格なんかが推し量れたり、その場のシチュエーションやら対話者との関係やらがなんとなく分かったりするわけで、いいよなぁ、面白いなぁ、と思うのですが、逆に日本語を学ぶ外国人にしてみればこれはやっぱり大変だろうなぁ。
例えば誰かが誰かに 「愛している」 と言う場合、英語では主語の人が男性だろうと女性だろうと大人だろうと子供だろうと台詞の主がどんな性格だろうと、どれもこれも 「I love you」 で対応できるのに、日本語ではいちいち使う人称が変って来るわけですよ。
岬君は源三さんに 「僕は君のこと愛してるよ」 と告げ、源三さんは岬君に 「俺はお前のこと愛してるよ」 と囁き、早苗ちゃんは翼に 「私、あなたのこと愛してる」 と言うってな具合に。(ま、実際は人称省略して単に 「愛してる(よ)」 ってのが口語的だとは思いますが)
あと、同じ人物でもシチュによっては使う人称が変ってくる場合もありますよね。
例えば源三さんは普段 「俺」 ですが、岬パパに 「御宅の息子さんを下さい」 と挨拶に行く時は・・・ なんだろう? 「僕」 になるのかな。源三さんの場合 「俺」 でもいいような気がするけど、やっぱり一応挨拶の出だし位はちょっと改まって 「僕」 かなぁ。
で、後で岬君に 「若林君、最初すっごい緊張してただろ?君が 「僕」 とか言ってるの初めて聞いたかも。あんまり似合わなくて噴出しそうになっちゃった」 とかって笑われるわけですよ。酷いな、岬君。
・・・とかまぁその辺はさておき、何にせよ日本語初心者の外国人の皆さんは新しい人称が出てくる度にいちいち辞書を引かなくちゃならないわけで、さぞかし鬱陶しいだろうなぁと思うわけです。だってね、本読んでて、新しい単語が出てきたから辞書引いてみたら、意味は 「I」 あるいは 「you」。
同じ辞書を引くにしても、引いた単語が例えば「過酸化水素水」とか「委任統治国家」みたいな難しい単語だったら、まぁ、仕方ないなと思えますが、手間暇かけて辞書めくった挙句に出てきた語義が 「I」 だの 「you」 だので、しかもそんなんが沢山あるわけですよ。 またかよ!なんでいちいち変えるんだよ!っつー話ですよ。
でもやっぱり人称ってのは日本語のニュアンスの基本だよなぁ。実際、岬君が 「俺」 だとやっぱちょっと違和感あるもんなぁ(昔一度だけ「俺」って言ってましたが)。逆に小次郎が 「僕」 とか言ってたらどっか打ったんだろうかと思っちゃうもんなぁ。そういやカルツはドイツ人のくせに「ワシ」だよなぁ。
つか、ドイツ人なのにいかにも 「ワシ」 って言いそうというか、逆に 「ワシ」 という一人称を使ってることでカルツのキャラクターがある程度作られるわけで、それもまた面白いなぁと思います。
でもって、人称だけじゃなくて話し口調によっても随分印象違いますよね。
源三さんに向って、「まったく君は!一体どういうつもり?」 と言うのはそれが岬君だからこそで(あくまでもウチの岬君ですが)、 「まったくお前は!一体どういうつもりだ?」 とか 「まったく貴方は!一体どういうつもりですか?」 とか、あるいは同じ 「君」 を使っていても 「まったく君は!一体どういうつもりだい?」 とかだと違う人になっちゃうもんなー。てか、源三さんて誰が相手でも、「まったく!」 って言われてそうだよなー。
キャラの性格が口調を決めるのか、口調がキャラ観を固めていくのか、おそらくはその両方の相乗効果なのでしょうが、同じキャラクターを使った二次創作でもやっぱり少しずつ口調が違う辺りに作者の方それぞれのキャラ観が伝わってきて、面白いなぁと思ったり。
因みに私はこちらではコナン以外の漫画は買わないのですが、それは正にこの人称と口調が理由だったりします。
コナンは日本で時々アニメを見ていて主要登場人物の人称や口調を知ってるので(つまりキャラを知っているので)、もはやイタリア語で読んでも全く問題ないのですが、読んだことのない漫画は当然のことながらそうは行かない。
主要な漫画は殆ど翻訳されて出版されてるので、読みたい誘惑に駆られるのですが、勝手なイメージを付けずに純粋にニュアンスを楽しむためには、やっぱり最初は原語である日本語で!てなわけで、読みたい漫画は数あれど現在はひたすらじっと我慢の子で耐え忍んでおります。
・・・とまぁ、気が付けば随分長くなってしまいましたが、何はともあれ、やっぱり日本語っていいなぁ。
で、人称の使い方如何で、性別や年齢やその人の立場や性格なんかが推し量れたり、その場のシチュエーションやら対話者との関係やらがなんとなく分かったりするわけで、いいよなぁ、面白いなぁ、と思うのですが、逆に日本語を学ぶ外国人にしてみればこれはやっぱり大変だろうなぁ。
例えば誰かが誰かに 「愛している」 と言う場合、英語では主語の人が男性だろうと女性だろうと大人だろうと子供だろうと台詞の主がどんな性格だろうと、どれもこれも 「I love you」 で対応できるのに、日本語ではいちいち使う人称が変って来るわけですよ。
岬君は源三さんに 「僕は君のこと愛してるよ」 と告げ、源三さんは岬君に 「俺はお前のこと愛してるよ」 と囁き、早苗ちゃんは翼に 「私、あなたのこと愛してる」 と言うってな具合に。(ま、実際は人称省略して単に 「愛してる(よ)」 ってのが口語的だとは思いますが)
あと、同じ人物でもシチュによっては使う人称が変ってくる場合もありますよね。
例えば源三さんは普段 「俺」 ですが、岬パパに 「御宅の息子さんを下さい」 と挨拶に行く時は・・・ なんだろう? 「僕」 になるのかな。源三さんの場合 「俺」 でもいいような気がするけど、やっぱり一応挨拶の出だし位はちょっと改まって 「僕」 かなぁ。
で、後で岬君に 「若林君、最初すっごい緊張してただろ?君が 「僕」 とか言ってるの初めて聞いたかも。あんまり似合わなくて噴出しそうになっちゃった」 とかって笑われるわけですよ。酷いな、岬君。
・・・とかまぁその辺はさておき、何にせよ日本語初心者の外国人の皆さんは新しい人称が出てくる度にいちいち辞書を引かなくちゃならないわけで、さぞかし鬱陶しいだろうなぁと思うわけです。だってね、本読んでて、新しい単語が出てきたから辞書引いてみたら、意味は 「I」 あるいは 「you」。
同じ辞書を引くにしても、引いた単語が例えば「過酸化水素水」とか「委任統治国家」みたいな難しい単語だったら、まぁ、仕方ないなと思えますが、手間暇かけて辞書めくった挙句に出てきた語義が 「I」 だの 「you」 だので、しかもそんなんが沢山あるわけですよ。 またかよ!なんでいちいち変えるんだよ!っつー話ですよ。
でもやっぱり人称ってのは日本語のニュアンスの基本だよなぁ。実際、岬君が 「俺」 だとやっぱちょっと違和感あるもんなぁ(昔一度だけ「俺」って言ってましたが)。逆に小次郎が 「僕」 とか言ってたらどっか打ったんだろうかと思っちゃうもんなぁ。そういやカルツはドイツ人のくせに「ワシ」だよなぁ。
つか、ドイツ人なのにいかにも 「ワシ」 って言いそうというか、逆に 「ワシ」 という一人称を使ってることでカルツのキャラクターがある程度作られるわけで、それもまた面白いなぁと思います。
でもって、人称だけじゃなくて話し口調によっても随分印象違いますよね。
源三さんに向って、「まったく君は!一体どういうつもり?」 と言うのはそれが岬君だからこそで(あくまでもウチの岬君ですが)、 「まったくお前は!一体どういうつもりだ?」 とか 「まったく貴方は!一体どういうつもりですか?」 とか、あるいは同じ 「君」 を使っていても 「まったく君は!一体どういうつもりだい?」 とかだと違う人になっちゃうもんなー。てか、源三さんて誰が相手でも、「まったく!」 って言われてそうだよなー。
キャラの性格が口調を決めるのか、口調がキャラ観を固めていくのか、おそらくはその両方の相乗効果なのでしょうが、同じキャラクターを使った二次創作でもやっぱり少しずつ口調が違う辺りに作者の方それぞれのキャラ観が伝わってきて、面白いなぁと思ったり。
因みに私はこちらではコナン以外の漫画は買わないのですが、それは正にこの人称と口調が理由だったりします。
コナンは日本で時々アニメを見ていて主要登場人物の人称や口調を知ってるので(つまりキャラを知っているので)、もはやイタリア語で読んでも全く問題ないのですが、読んだことのない漫画は当然のことながらそうは行かない。
主要な漫画は殆ど翻訳されて出版されてるので、読みたい誘惑に駆られるのですが、勝手なイメージを付けずに純粋にニュアンスを楽しむためには、やっぱり最初は原語である日本語で!てなわけで、読みたい漫画は数あれど現在はひたすらじっと我慢の子で耐え忍んでおります。
・・・とまぁ、気が付けば随分長くなってしまいましたが、何はともあれ、やっぱり日本語っていいなぁ。
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